再臨のメシヤよりも独生女? ―3月16日のお母様の御言を受けて

「再臨のメシヤよりも重要なのは、天の血統として独生女が誕生したこと…」

去る3月16日、米国ラスベガスにおいて、お母様は上記のように語られた。家庭連合の中では、今やこうした内容に疑問を投げかけたり、異論を挟むことも許されないのだろう。或いは、もはやこうしたことに対し、本当に何の違和感も覚えなくなってしまっているのだろうか?

「どこまでもお母様を信じよ」「他の声に耳を傾けてはならない」「心の内に生じる疑問や不信はサタンの思いだ」…etc。そうした言葉を、繰り返し聞き続ければ、誰でも判断力が奪われてしまうものなのかもしれない。しかし、少し遠目から、冷静になって、ごくごく客観的に、今の家庭連合を見つめ直してみるなら、誰しも、今の家庭連合の主張と思想とが、お父様の本来の御言から、大きく変わってきてしまっていることに気付くだろう。それはまるで、別の宗教のようである。

1)独生女、現家庭連合の教えの核心

一点一画たりとも損なわれてはならないとされた天聖経の編纂に始まり、八大教材教本は三大経典に変わり、成婚問答も、家庭盟誓も、天一国国歌も、神様の名称に至るまで、大きな変貌を遂げた。今や、神の日よりも御聖誕日が盛大に祝われ、名節でのお父様の椅子は取り払われるに至った。家庭連合では、それは皆、天一国時代を迎えたことによる勝利であり、時代的変化であって、お父様が打ち立てられた伝統を、微塵も損なわせるものではない、と説明するに違いない。しかし、現在、家庭連合が発信し続けている「独生女」というメッセージが、本当にお父様の伝統に根付いたものであり、その教えや思想を補い、発展させ得るものと、本気でそう考えられるのだろうか?

確かに、お父様も「独生女(独り娘)」という言葉を語って来られた。それはひとえに神の娘、アダムの相対、メシヤの新婦としての「創造本然のエバ」であり、人類歴史が求め続けてきた、何よりも貴い存在に違いない。しかし、独り娘はあくまで、「独り子」の誕生と勝利圏があってこそ、初めて復帰し得る立場であって、新約時代で言えば、人々をあくまで独り子、イエス・キリストへと導く「聖霊」の立場に他ならない。聖霊とは「助け手」であり、聖霊の働きがもたらすものは、イエス・キリストに向かう愛であり、悔い改めであり、感謝である。しかし、今、「独生女」という言葉が、何か「独り子」と拮抗するような概念として語られ、頌栄や感謝、愛情が「独り子」に向かうものになり得ないのは何故なのだろうか?

「血統転換、私(お母様)は胎中にいる時からだ。」「お父様はイエス様の使命を引き継いだ瞬間が独り子となった資格である。」(2014.7.1)
「私(お母様)を教育した人は誰もいない。独り子と独り娘は同等。独り子が独り娘を教育したとは言えない。」(2014.10.27)
「お父様は16歳の時にイエス様から独り子の位置を引き継いた。お父様はその位置から再臨のメシヤになるのではない。責任がある。」「4千年にわたるイスラエル民族の蕩減摂理を通じてイエス様を誕生させたように、私(お母様)もそうした立場で生まれたため原罪がない。」(2016.2.24)
「神様が私(お母様)の父。人類のうち、神様を父と知って生まれた人は私ただ一人。二千年前のイエス・キリストと。」(2017.3.29)

記録こそ公開されていないが、2016年12月25日の会議、並びに30日の先輩家庭集会において、お母様が「お父様には原罪がある」と言われたことも、周知の事実である。(https://align-with-god.org/seeking-truth/tokusennyo参照)

2)メシヤ、血統転換の歴史の結実

お父様とお母様は一体なのだから、お母様が今、どんなことを語られようと、それもお父様の御言なのだ…。そう言われる方々もいる。しかし、本当にお父様がわざわざ霊界から、御自身の教えや思想の根幹を覆すようなことを言われるのだろうか? お父様が霊界に行ってみたところ、ご自分の従来の教えが間違っていたことに気付かれた、とでも言うのだろうか? それが原理を学んだ者の正常な判断だと、皆さんは本気で思われるのだろうか?

神の創造理想はひとえに「神を中心とした理想家庭」の実現にあり、復帰摂理の中心は、失われた「アダム家庭」の復帰にあった。この最初の起点、「本然のアダム(メシヤ)の誕生」という一点のために、膨大な復帰歴史が費やされてきたことは、血統転換の歴史を学んできた者には分かるだろう。

「今までの神の歴史を考えてみた場合、6000年どころでない、何千年、何万年、何千万年が、アダム一人を復帰するためにかかってきました。(略)堕落前のアダムの基準を復帰する、たったそれだけのためにです。そのようにして来られた方がメシヤなのです。」(愛の相続、1978年9月21日)

アダムの復帰が容易でなかったのは、「血統」が失われたからである。お父様は「男性は種、女性は畑」と何度も語られた。それは単に生物学的な観点から話された訳ではないだろう。お父様が生殖や遺伝の観点から、下記のような説明をされたと見るなら、それはどれほど非常識で、差別的な発言になってしまうだろうか。「男性は種、女性は畑」というのは、何よりも、「神の血統」を代表し、これを受け継ぐ立場が男性である、ということに他ならない。

「母を見る時、血筋が違います。血筋で残るのは父子が残るのです。母は畑です。種は畑だけあれば、どこに植えてもいくらでも実を結ぶのです。そのため、父子関係は血統が連結されているというのです。堕落によって血統が間違ったことを否定しなければなりません。」(父子協助復帰時代、2000年3月6日)

アダムを通して「神の愛と生命と血統の種」を受けるはずのエバが、「サタンの愛と生命と血統の種」を受ける土壌となってしまった、それがエバにおける堕落である。しかし、アダムが堕落していなかったなら、エバの復帰は容易であったとされる。それはアダムの立場、「神の血統」が失われていないからである。エバが再び、サタンとの関係を断ち、完成したアダムの相対として立ち得たなら、神の愛と生命と血統を出発する立場に立ち返ることもできた。それだけに、アダムが堕落したことの意味は大きい。それは単に、アダムが堕落したエバと相対関係を結んだという話ではなく、アダムが「天使長とエバの偽りの愛」の結実として、「サタンの血統」を受け継ぐ「サタンの息子」の立場に「転換」されてしまったことを意味していたからだ。

「本来神の妻となるべき立場にあったエバは堕落によってサタンの妻となった。サタンと一体となることによってサタンの妻となったエバが次にアダムと不倫な血縁関係を結ぶことによってアダムを堕落させた。堕落したアダムはサタンとその妻が一体となって生みだした子女の立場に立つようになった。このようにしてアダムは神の息子からサタンの息子へと転落してしまったのである。」(成約摂理解説、第二章1節、サタン中心の血統転換:周藤健)

堕落してしまったエバを、再び神の愛と生命と血統を継ぐ立場に復帰するには、本然のアダムの「相対」の立場に立つことで、可能となる。しかし、堕落してしまったアダムを、再度、神の愛と生命と血統をもつ立場へと復帰させるには、もう一度、「神の血統の種をもつ子女」として、天から誕生させなければならなかった。それこそ、失われたアダム、サタンの血統と関係のない無原罪のアダム(メシヤ)を再び地上に誕生させるために費やされてきた「血統転換の歴史」に他ならない。

「天使長とエバが結婚することによって、原罪が植えられたでしょう。ですから、刈り取るときも、結婚によって刈り取らなければなりません。天使長との結婚によって植えられたので、誰との結婚によって刈り取るべきですか? アダム(メシヤ)との結婚によって刈り取るべきだというのです。」(祝福家庭と理想天国、P915)
「真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。(中略)復帰摂理の中に現れた母子共助は、すべてが天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。」(救済摂理史の原理観、1996年~世界巡回講演)

女性を中心に展開されてきたタマルの話も、マリヤの話も、メシヤ(本然のアダム)の無原罪誕生のための摂理(胎中復帰)であって、復帰摂理の核心はひとえに「メシヤの誕生」にあった。それが、お父様から学んできた復帰摂理の骨子である。無論、その独り子アダムの新婦となる独り娘エバが、天から特別に備えられ、聖別されてきたことを否定する者はいないだろう。しかし、皆さんは今まで、たったの一度でも、「エバの無原罪誕生」のための血統転換の歴史というものを、お父様から聞いたことがあっただろうか?

3)さいごに

私たちは誰一人、お母様があらゆる艱難辛苦を超え、真の母になられた歴史的事実を否定できない。私たちは皆、お母様が歴史上の如何なる女性も勝利し得なかった立場を勝利し、人類の真の母となってくださった事実を知っている。そしてまた、私たちの多くが今なお、お母様をお母様として慕い、愛し、最後まで信じていきたいと思っている。

しかし、それでも、私情を挟まず、冷静に、客観的に事実だけを見るなら、現家庭連合における「独生女」という思想は、決して、お父様の御言や伝統と一致するものにはなり得ない。また、受け入れ難い内容も含め、目の前で起こって来ている現実を、正直に、ありのままに見つめるなら、お母様の言動は今、お父様の勝利圏を希薄化させ、お父様がこれまでに打ち立てられた思想や信仰の伝統を、新たな「別の信仰」によって塗り替えてしまっている。過去の統一運動を知る人々から見たら、家庭連合こそ、最も大きな「分派」になってしまったと判断するだろう!

それでも皆さんは、今のお母様の言動に疑問を抱き、問題意識を覚える者たちが、ただ単にサタンの声に惑わされ、御旨の道から外れた者たちだと見るのだろうか? また、皆さんは本気で、今のお母様の状態が本来の状態ではないと危惧することが、ただただ不信仰で、不孝を働くことだと思うのだろうか? 私たちは皆、多くが同じような疑問を抱き、違和感を覚えていることを知っている。しかし、人目を気にし、周囲の顔色をうかがい、「絶対信仰」という言葉の前に委縮して、皆が皆、ただ黙って現状を受け入れているだけでは、そのうち、正常な問題意識すら消え失せてしまうだろう! 飛び出すタイミングを失ってしまった「ゆでガエル」のようになってしまっていいのだろうか?

過去、世間の如何なる反対にも負けず、自らの信念に立ち、真理と神霊によって、正しいことを正しいと言い、間違っていることを間違っていると叫んできた統一家のスピリットが、今なお、この運動の中に、皆さん一人一人の胸の内に、死なずに生き続けていることを信じたい。また、今、こうした混乱を収拾できるのは誰であり、歴史の背後にあって摂理史を導いて来られた、生きた神の御旨の主流へと私たちを正しく導き得る、この時代の「真の羊飼い」が誰なのかを、本気で祈り求めて頂きたいと思う。

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