御旨と世界『創立以前の内的教会史』(1977年5月1日 NY)」より

「真の息子、娘となりたければ、両親の精神を受け継がなければならない」とすれば、あなた方は先生の伝統と理念を受け継がなければならないわけです。…
そしてそういう人となり、そういう道を歩むときに、その人やその教会は、必ずや神によって栄えていくに違いありません。いわれのない迫害を受けるときにも、呪うのではなく、逆に神に彼らの祝福を祈り求めるのです。

私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。私たちを非難し迫害する人々が言うごとく、私たちに何か間違っていること、罪深いことがあるとしたら、私たちには一つの罪があるといえるでしょう。それを罪と呼びうるなら、私たちが「神を知っている」という罪です。…しかし過去において私たちが何か悪なることを世界にもたらしたでしょうか。神を知ることがいかにして罪となりうるのでしょうか。神を知らないことのゆえにこそ、かくも混乱していく世界であり、教会は崩壊し、共産主義はますますその勢力を伸ばしているのではないでしょうか。

先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線を後にするとき、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残していくことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。

「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私の死んだ後に私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」とい言う人がいるとすれば、その人こそは私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。

先生が24年前に統一教会を創立したように、あなた方も自分の任地であなた自身の運動を創始したのです。それぞれの地で新しい教会を創立し、その地のレバレンド・ムーンになろうではありませんか。

カテゴリー: マルスム

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